「静かな退職(Quiet Quitting)」という言葉が2022年前後に話題になった。
SNSでも、ビジネスメディアでも、大きく取り上げられたが——。
そもそも、“静かな退職の何がいけないのか” を明確に説明した記事は、ほとんど見当たらない。
これが、僕が一番違和感を覚えているポイントだ。
■ メディアは騒いだが、中身は空振りだった
アメリカでBryan Creelyの動画が拡散し、日本でも数年遅れで話題になった。
しかし、多くのメディアが示すのは“言葉の紹介”だけ。
静かな退職=最低限だけ働くこと
若者が仕事に冷めている
やる気の低下の象徴
……こうした “なんとなくの雰囲気” だけで語られ、
なぜいけないのか、どこが問題なのか、論理的な説明が欠けたまま だった。
その象徴として、ネット上で「静かな退職」という訳語を使ったもっとも古い記述を探すと、
大抵は 一つの論文 に行き着く。
(論文自体の内容は、別記事であらためて扱う。)
■ 論文で触れられていた論点のひとつ
その論文の中では、「静かな退職」と「働かないおじさん問題」が並列的に扱われていた。
そして論文の本旨とは異なるのだけれど、
僕自身はここに引っかかりを覚えた。
■ 僕の意見:働かないおじさんも静かな退職も“企業側の曖昧な評価制度”の帰結である
論文では、働かないおじさんが若手のモチベーションを下げると論じられている。
しかし僕は、原因は別のところにあると考えている。
問題の根本は、企業の評価制度が曖昧で、時代とズレていること。
この構造が、
静かな退職
働かないおじさん
両方を生み出した。
仮に静かな退職を「悪」とみなすなら、
改善されるべきは 評価制度そのもの だ。
■ ただし、そもそも静かな退職は “悪いのか?”
ここが一番大事なポイントだ。
会社から与えられた目標を達成し、
それ以上働かない——。
これ、いったい何が悪いのだろう?
もちろん、目標未達で「自由だ」と言うのは論外だ。
しかし、
給料は上がらない
昇進も望めない
特に見返りがあるわけでもない
そんな中で「もっと成果を」「もっと働け」という方が、不自然ではないか?
ラーメン屋の店主が、注文されたラーメンを丁寧に作って提供した。
そのときお客さんに、
> 「なぜラーメン以上のものを出さないのか?」
と言われたら、おかしいと思わないだろうか。
■ 目標設定をすり合わせられない企業側の問題
企業と個人は対等な関係で雇用契約を結ぶ。
にもかかわらず、企業側が個人の望むキャリアや報酬とすり合わせず、
“暗黙の期待”
“もっとやるべき”
“忠誠心”
を要求するのは、そもそも筋が通らない。
評価制度をアップデートせず、
自分たちの怠慢が生んだ現象を “若者のやる気不足” と言い換えただけ。
僕にはそう映る。
これは、メディアが言葉だけを拡散し、
大衆の反応を利用した“煽り”にも見える。
結論ッ!
静かな退職の「何が問題なのか」が説明されないまま騒がれたことこそ問題**
この現象を語るなら、
本当に議論すべきは 企業の制度側のアップデートの遅れ だ。
そして、その構造的欠陥が
「静かな退職」と「働かないおじさん」という
2つの“現象”を生んだのだと考える。
なので、この言葉で騒いでいる人を見かけたら、それを横目に自分の好きなことに集中する。それが今の時代の最適解かもしれない。

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