一口に前向きと聞くとポジティブな意味合いを感じるので感じよく聞こえますね。
ところが、呆れるくらい前向きで同じ過ちを犯しそうな人はこの人懲りないなぁと感じてしまいます。
このように懲りない人たちの頭の中では何が起きているのでしょうか?
懲りない人たちの心理を解き明かすキーワードは「認知的不協和」です。
▼この記事が参考になる人
・認知的不協和を知りたい人
・懲りない人の心理に興味のある人
・心理学に興味のある人
実はかなり身近なところで起こっている心理、認知的不協和はおもしろいです。
ぜひ楽しんでいってください!
認知的不協和とは?
一言で説明すると、「自分の心の中に抱えた矛盾の状態」を指します。
例えば、幽霊は必ず実在すると言い切る人がいたとします。
ところが話してみると、その人は何かしらの霊体験が無かったり、幽霊を見たことがなかったりして本人の言う幽霊が実在することの根拠が無かったとします。
この点を指摘されると、幽霊は実在すると言い切る人は、その心の中と実際に幽霊を目撃したことがない事実から自分の中に矛盾を抱え込む形になります。
これが認知的不協和というものです。
また、この認知的不協和のおもしろいところは、人は認知的不協和に陥るとそれを解消するために解釈を変える行動を起こします。
先ほどはオカルトを例にしてしまいましたが、身近なところで例を出すと以下のイメージです。
上記のイメージの通り、人は認知的不協和に陥るとその状態を解消するために自身の解釈を変えてしまうのです。
これは、自分の行動に対してなんとか一貫性を保とうとする心理も一部働いているようにも思えます。
つまり人は矛盾を敬遠する生き物と言えそうです。
これは他にも身近なところで散見されます。
身近な認知的不協和
あなたの周りに意地っ張りな人はいないでしょうか?
あの映画は絶対につまらないから観ない方がいいと言っているのに、おもしろいに違いないと言い切って映画館に行った人が、「確かに名作とは言えないけど、期待通りのおもしろいシーンはあった」という具合に自分の意見を曲げないパターンです。
これは普段は意地っ張りな人だなぁ。という風に処理されますが、心理学という視点を通してみるとこれは認知的不協和と見ることができます。
この映画の例だと、最初に「映画のおもしろさ」について話していたのにも関わらず、映画を観終わってから「期待通りのおもしろいシーンがあった」という風に解釈を変えていることがわかります。
つまり、認知的不協和を解消するために、映画全体のおもしろさの是非ではなく、自分の期待するシーンに応えるものがあった、という風に解釈を変えてしまっているのです。
このように人は自己の中に矛盾を抱えることを嫌います。
自己認知できてなくても、無意識のうちに認知的不協和を解消しようとするので非常におもしろいです。
もし身近な人で急に解釈を変えた人がいたとしたら、認知的不協和が起こったんだとみて観察してみるとおもしろいかもしれません。
さいごに
認知的不協和という言葉はとっつきにくいですが、内容を知ると実はあるあるという身近な話が多くおもしろいです。
もしも急に解釈を変えた人が現れたら、認知的不協和だったんだなと見つつ、そういう解釈に変えたのかと感心してみるのもおもしろいでしょう。
僕は会社にそのような人が多いので観察して楽しんでいます。
さいごになりますが、今回の認知的不協和は以下に紹介する本を参考にしてこの記事を執筆しました。
認知的不協和以外にも参考になる心理学のテクニックがたくさん紹介されているのでぜひ試しに読んでみてください。
それでは。
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