「自己責任」はどの世界でも通じる暗黙のルールと言えます。
仕事もスポーツも、失敗したり怪我をすれば自己責任という言葉が少しでも顔を出してくるものです。
しかしこの当たり前に使われている「自己責任」について細かく考えてみたことはあるでしょうか?
あらためて自己責任を考えてみると、人の行動に影響を与える強力な一面が見えてきます。
今回はその自己責任を心理学の観点から見直していきます。
▼この記事が参考になる人
・自己責任を冷静に考えたい人
・人の反応に興味のある人
・心理学に興味のある人
身近なルールも心理学の観点で見直すとおもしろいです。
ぜひたのしんでいってください。
同じ結果でも人の反応が変わるのが自己責任
自己責任のおもしろいところは、同一の結果だったとしても、それが誰が原因なのかによって人の助けに大きな差が出てくるということです。
自己責任として片付けられて援助を受けられなかったり、反対に同情されて援助を受け取れたりします。
図で示すと以下のイメージです。
上記はHIVの例ですが、感染した理由が当事者にあるのかないのかで、結果的に同じHIVの感染であっても人の援助に大きな差が出ます。
さらに、当事者に責任がある場合は嫌悪感さえ抱かれるのです。
これは当たり前に聞こえると思いますが、「HIVの感染を防ぐ、患者を救う」という医療的な観点からみると自己責任で放置できる話ではありません。
このように自己責任は当たり前のように見受けられるルールですが、心理学的にみると人の反応としては興味深いものになります。
身近な自己責任
このように自己責任に定義は実は明確になっていません。
それを知った人の感想といってもいいでしょう。
例えば、僕は以前会社の上司(課長)にプロジェクトの失敗の責任を押し付けられましたことがあります。
プロジェクトリーダーは課長で、本来は課長の責任のはずが論点となったプロジェクトの遅延の原因は僕にあるとして僕が部長に説明することになりました。
もちろんプロジェクトに関わっていた一人として遅延に対して責任はあります。
しかし全体を遅らせることはしておらず、全体管理は課長の業務であったにも関わらずです。
これを聞いて、今回の自己責任に当てはめるとどうでしょうか?
恐らく課長は悪いやつで課長に責任がある思ってくれると思います。僕も同じ意見です。
ですが、自己責任という観点で考えるとこれは僕の責任です。
そもそもこのように責任をなすりつける上司と一緒に仕事をした僕の自己責任になります。人を見極められなかったのも僕の責任です。※ちなみに責任の所在を弁明するのは途中から無駄だと判断して勉強だと思って甘んじて受けました。
このように、自己責任は個人の感想によるところが大きいのです。
このエピソードを聞いた人は課長に責任があると思うでしょうし、僕は僕の自己責任だと考えます。
さいごに
今回は自己責任について心理学的に考えて見ました。
常識的なルールという風に感じている自己責任も、分解して考えてみると実は人の感想によるところが大きいのです。
ですので、これから身近な人の振る舞いで「自己責任」だと感じる場面があったら、実は視点を変えると事態はもっと違うのかもしれないぞ。という風に考えるのも手です。
もし現場を仕切る立場にある人であればなおさらです。
僕が課長にやられたように、事実に目を背けず、事実と向き合って行動してもらえると嬉しいです。
この記事でご紹介した自己責任は、心理学の領域の本で学んだことをアウトプットしています。
自己責任の内容以外にもすぐに使える心理学のテクニックが紹介されているのでぜひ参考にしてみてください。
それでは。
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