好きなことを仕事にする。自分にあう仕事を模索する過程で、ネットを中心によく話されています。
一方で好きなことを仕事にしてしまうと、多くの仕事がひとりで完結しない性質上、結果的に不幸になるという指摘もあります。
これはどちらも正論でして、その人しだい、ということで終わります。
同時に、何かを目指している状況において、努力は夢中には勝てないということも言われています。
ごもっともなお話ですが、では自分において夢中とはどうすれば得られるのでしょうか?
今回は、僕は「自分の夢中」を得る方法について考えてみました。
内容は仮説ですが、この仮説が重要なんじゃないかと考えています。
ぜひ楽しんでいってください。
楽にできるものを探してみる
まず考えるべきは、自分にとって楽にできるものを探してみる。です。
自分にとって楽というのは、同じ作業でも隣の人と比べたときに、自分は心理的負担が少ないものを指しています。
例えばこんなものでOKです。
・学生時代、数学は苦手だったが、図形の勉強だけは苦じゃなかった。
・毎日自主的に運動することは苦じゃない。
・ひとりでいて平気。浮いてるとか気にならない。
・計画を立ててそれ通りに進めることに違和感がない。
これらは全部僕のことです。
過去の体験や、人に「お前ってこれやれるよね」と言われたりした実際の内容です。
見直してみると自分でも実感します。
結局の所、夢中になってたり、自分にとって楽なものというのは周囲の人と比べてどうか?というのが判断基準になります。
ですので、ほんの些細なエピソードからでいいのです。ぜひ自分の過去体験を書き出してみてください。ポイントは、なんとなく褒められた?ようなものです。
大切なのは、それらを発見して力量として拡大させていく。育てていくイメージで実践していくことなのです。
見つけたものをもう一回やってみる
僕は試しに図形の問題を再度取り組んでみました。中学2年生の図形の問題を、30代のおじさんがテキストを買って挑戦してみたのです。
なんともおかしく見えるかもしれませんが、それで僕は「やっぱり図形の問題は楽しいな」という感覚を得られました。
わざわざお金も払って、今必要も無く、他人に理解してもらない取り組みですが、僕は自分にとって図形の問題はあっていると再確認できました。
つまり、年月が経っても自分にっとて心理的負担が低いものだったのです。
心理的負担が低いということは、何となく始めたものを、フムフムと進められている状態です。周囲は気になりません。むしろキリの良いところまで進めたいという気持ちです。
これは「夢中」という状態以外に何と言えるでしょうか?
発見→伸ばす。育てていく
この過程を意識して取り組めていない人が多いかも知れません。
多くの人は、夢中になれるものは運命的に出会って、それっきりになるというドラマチックなものをイメージするかもしれませんが、本当の所はちょっと違うかも知れません。
発明王と呼ばれたエジソンも、実は発明以外にも多くの事業を手掛ける実業家であったことが分かっています。つまり発明だけで成し得た人ではないのです。
もちろん、当時の社会的な背景で生活するためやらざるを得なかった部分もあったかもしれませんが、その可能性は低そうだと感じてしまうほど、実業家として多彩でした。
ですので、自分にとって何が夢中になれるか(なれそうか)を発見したら、とにかく試してみることが大切です。
そしてその夢中を伸ばし育てていくことが必要。
僕の図形の問題のように、ただ問題を解いて、より難題を楽しんでいくこともありです。
ただそれを伸ばしていくと、よりスケールの大きい問題に到達できて、それは大学や建設など実社会で必要とされるものにまで到達できるとしたら、これは「夢中」のおかげだと考えられませんか?
自分を育ててみよう
日本の教育環境から社会環境、同調主義的な部分は根強く、自分の得意なことを伸ばしにくい環境です。
ですが、小さなところから試していって、気づいたらどんどんスケールアップできてたとしたら楽しいですよね?
これが僕の考える「夢中の構造」です。
人と比べる必要はないのです。何となく自分にとって「楽」だったこと。この種をみつけてあげましょう。
僕のように数学はいつも50点だったけど、図形の時は60点取れた。ここからでいいのです。
さいごに
当然僕もまだまだ道半ばです。
今回は図形の例を出しましたが、僕にとっては文章を書くことも心理的負担の少ないものです。
そして今の時代こそ、エジソンのように多彩な取り組みをしやすい時代です。
隣の人に、今オレ図形にハマってんだよね。などと言う必要はありません。
そんな無駄なことをしている暇があったら、家に帰って図形に取り組むことを想像してワクワクしましょう。
まだまだできることはたくさんあります。
それでは。
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