この記事を書いている2021年12月9日は、年末のRIZIN.33まで1ヶ月を切り2回目の対戦カード発表がされました。
RIZIN CEOの榊原さんは変わらずノーコメントを貫いています。
対戦があるのかないのか、ファンの間で依然として憶測が飛び交う毎日です。
天心のボクシング転向のカウントダウンを考えると、年末のRIZIN.33が武尊と対戦が実現する最後のチャンスと考えられています。
そのため対戦カードの発表は常に天心 vs. 武尊の期待値が膨らんではノーコメントで流れていくことの繰り返しでした。
しかし実現するしないに関わらず、この夢の対戦カードは今が一番旬を迎えていると言えるのではないでしょうか。
実現すれば勝負論が加熱し、実現しなければ夢や幻で終わります。
そこでこの記事では、何も明確に決まっていない今だからこそ考えられることを記しておこうと思います。
ぜひ楽しんでいってください。
天心 vs. 武尊で何を見たいのか
日本の格闘技界が過去にないくらいの盛り上がりのピークを迎えることは間違いないです。
恐ろしいくらいに盛り上がることでしょう。
ただ、僕が気になるのはこの盛り上がっている人たちは何が見たいんだろう?ということです。
やっぱり天心は最強だ!という確認なのか、ついに武尊が天心を超えた!というストーリーが見たいのか。
この勝負の先にあるものは正直それほど大きくないという風に考えています。
ベルトが掛けられているわけではないし、もはや団体対抗戦という次元ではないです。
正真正銘のお互いの存在をかけた戦いになります。
お互いキックボクシングという同じ土俵で、交わることのない違うリーグの頂点を極めた者同士が戦うということは、そこで負けたら一生ものの否定を背負うことになります。
そこにドラマがあると言えばそうなのですが、それを見たいというのはあまりにも残酷です。
そして人は残酷なものを見たがるものですが(僕も例外じゃない)、その生贄に天心と武尊がなるというのはどうなのでしょうか。
つまりこの対戦を見たがっている人たちは勝敗よりも用意された残酷な結末を見たいんだろうな。
という風にも思うのです。
対戦後の世界は
まず間違いなく格闘技のファンは減ると思います。
特にキックボクシングは大きな痛手を被ることになるでしょう。天心 vs. 武尊のような対戦はめったに期待が高まるものではありません。
僕のようにそもそも格闘技が好きな人は残るでしょうが、ムーブメントが好きな一定のファン層は確実に離れていきます。
そもそもコンテンツ自体がそういうものだと言えばそれで終わりですが、ファンとしては寂しい限りです。
ただ、選手中心に試合が組まれるのではなくリーグ中心に選手が試合ができるK-1の仕組みが僕は好きで応援しているので、天心 vs. 武尊 後の世界でも応援していきたいと考えています。
結論は10年経たないと分からない
おそらくどれだけ今議論されたところで答えは出ないでしょう。
実際に対戦の実現に向けてどのようなことが問題なのかを公表されたとしても、天心 vs. 武尊 の意義というものは10年くらい経って本人や当事者たちの口から話されない限りは結論は出せないです。
ファンの望むカードというのは聞こえは良いのですが、そのファンすら実態が危うい気もしてきています。
議論が議論を呼び、匿名性がまだ担保されているネット社会で猛烈に膨れ上がった何かの犠牲者に天心 vs. 武尊が持ち上げられているようにも感じます。
ネットの炎上が形を変えて行儀の良い別の形で表れているようなイメージです。
ある意味、劇場型の炎上。炎上劇とも言い換えられそうです。
今こそ格闘技界はバブルを迎えていると言えます。
しかしバブルは弾けるものです。必ず終わりがきます。
さいごに
少し天心 vs. 武尊に否定的なコメントをしてきましたが、対戦が実現すれば僕ももちろん楽しみにします。
ただ、直近の盛り上がりを肌で感じていてふと冷静になると異様なものを感じたので今回記事を執筆しました。
このように発言していても、すでに僕自身もこの炎上に加担している身だと思うので妙な心持ちです。
不要に煽らず、実現すれば楽しみに、実現しなければ受け止める。自分にできる範囲で責任持って今の格闘技を楽しみたいと思います。
それでは。
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